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地震とソラン [その他]

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  今回の熊本地震、2回目の本震のほうが前震とはけた違に激しく、時間も長く、また、その後の揺れも激しかったのですが、私は、鈍感というか、被害の時の対応が全くできない人間なのでしょうか、単に、地震が発生した場所に座っていただけで,室外に出るとか避難するとかの発想自体がありませんでした。

 発生時間は午前1時過ぎでしたが、私は一階のリビングでテレビを見ており、家人は二階で寝ていたようです。VIVI君は近くで寝ていたと思います。最初の揺れが始まったときは余震だと思っていましたので、収まるだろうと思っていましたが、逆にひどくなり、食器棚が倒れたりし、家具もめちゃくちゃになったようですが、停電したため真っ暗になり、周りが全く見えなくなり、どうなっているのかも分かりませんでした。ただ、ガラスが散乱しているのは、割れた音で分かりましたので、VIVI君が歩き回って怪我しないように、抱くことにしました(私自身が素足で動いてガラス片で怪我しました)。VIVI君はソラン君と違い、普段抱かれることを嫌がるのですが、そのときは、黙ってずっと抱かれていました。また、おそらく数分間、vivi君の頭のほうを下に尻尾を上にして抱いていたのですが、VIVI君が何ら嫌がる動作をしなかったので、気づかず、そのまま頭を下にしたまま抱いていました。VIVI君余程、怖しかったのだと思います。

 ある程度揺れが収まっても家人が一階に降りてこないので、何をしているのだとスマートフォンを懐中電灯代わりにして2階に上がりましたが、2階のテレビが倒れないように押さえていたということでして、私たちの地震直後の対応は問題だらけでした。その後、停電が回復して、少しは安心しましたが、このとき感じたのは、真っ暗で何も見えないことが、不安をつのるということです。スマートフォンが懐中電灯代わりになったので助かりましたが、そうでなければ、停電が回復するまで動けないところでした。

 ところで、表題にソランと書きましたが、ソラン君は死んでいるのですが、真っ先に考えたのは、ソラン君のことでした。ソラン君がいたら、とても怖かっただろうな、ソラン君の遺骨はどうなったのか等、家人や娘のことも考えましたが(娘は近くのマンションにいましたが、これについても、私は鈍感なのかすぐ連絡するとかのことはしませんでした。)ソラン君のことを考えてしまいました(遺骨は無事でした。ちなみに父達が納骨されている墓は崩壊しました。)。地震後、何故か、ソラン君のことを考えることが増えている状況です。

 現在、各相談所に行ったりしており、先日は阿蘇方面にも行きましたが、これからの再建について模索している方が多く、これからもまだまだ長い支援が必要だなと感じる次第です。

 写真は出会った頃のソランです。


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